じょっぴんかったか

昭和の中頃から電気炊飯器があるので「ちゃんとかましてから うるかさなかったっけ めっこになったべさ。」ということは少なくなったのかもしれません。あずましき国を探検してみればこれまた「たいしていっしょや。」と思えてしまいます。

善。

志の家
札幌市中央区南二条西12-323-10 クリスタルパレス 1F

「お一人様ですか?」「は〜い。」と誘われたテーブルに着けば、対面に刺身をつまんでビールを嗜むオヒトリサマのチャンネー。ごめんね。むさくるしいオッサンが目の前に登場して・・・。

こんな楽しみ方を知ってるんだな。うらやましい。耳学問で知ってはいるけど、やったことはないんです。そのあと、日本酒もオーダーしていたりして、優雅な時間。羨ましい。

こちとら、時計見ながら”現地待ち合わせまであと10分ある。移動時間は・・・”なんてせわしない始末。

まったく関係ないんですが、世の中のオジサンたちは、PCが普及すれば、仕事がラクになる。ペーパーレスになる。なんていうことを、言われていた時代がありました。

機械は人の利便性を向上し、直結はしなくともまわりまわって、短時間で作業を遂行することができ、いわゆる「シアワセ」になるための道具なのである。といった思いがあったであろうと思います。
ところが、どうでしょう。!?
仕事量は増え、ペーパーは増え、残業時間が減ったということはないんでないんでしょうか。

挙句の果てには、PC操作は得意でも、他人を慮ることのできない「個」の世界に浸り、「自分は自分。」「他者は関係ない。」的な方の多いこと。多いこと。
デジタル言語は「0」「1」の組み合わせ。
「ゼロ」と「イチ」の間に身を置いて、あいまいでいい加減な生き物は、「調和」というかそのさじ加減ってものをデジタルの仕組みにいまだ組み込むことができずにいるんです。

少しだけの肴をあてに酒を嗜み。しめに蕎麦。そんな、ココロの豊かさを実現するには、「このお店のウエルカム魂は、善であり価値あるものだ。」とあいまいな生き物の一個体が感じるんだから、それでいいんです。