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じょっぴんかったか

昭和の中頃から電気炊飯器があるので「ちゃんとかましてから うるかさなかったっけ めっこになったべさ。」ということは少なくなったのかもしれません。あずましき国を探検してみればこれまた「たいしていっしょや。」と思えてしまいます。

妄想。

麺恋佐藤
札幌市南区澄川4条2丁目2-8

屋号の音の響きとは異なるいかついアンチャンのいる厨房です。(゚ー゚;
この通りを南へと5千キロくらい向えばほぼ赤道直下に近いパプアニューギニアあたりの常夏があるんだろうし、そんなところで老後を過ごすのも一考なんですが、如何ともしがたいのは取り巻く不況感でございます。

世のサラリーマンは、一年の締めくくりにやってくるであろうボーナスの「査定」の二文字に怯えている方も多々いらっしゃるかと思います。(まあ、いただけるだけありがたいんですが)計数化されたそれは、正確に個々人の人となりを受け止めるものであろうはずもなく、各々の役割の中でいくら電卓をたたいたところで、結果は結果・・・「しかたない・・・」

そういや、以前、精神を病んでいたであろう内地から来た上長は「ホッカイドーの人は、すぐ「しかたない」とあきらめる・・・」と北海道ネイティヴを十羽ひとからげに断罪していたものです。
ま、辛抱強く長い冬を受け止め春を待つ強さがあるわけで、「したっけ、な、あんたがた内地の人にはわかんないべさ。」(笑)

鶏白湯に豚骨風味漂う(!?)一杯でした。
だからと言って、それを計数化し数値に置き換え評価しようとしてはいけないわけで、どう受け止めるのかは、個々人のその日の健康状態、精神状態、etc.の状態で変化するわけで、そう思うんだからしかたない。

ルールは時の支配者が決める。職場という空間では厳然と支配者が存在し、そのルールの中で盲目に従うふりをしてあげる度量も必要かもしれません。

声を立てず、そーっと辛抱の時代がまたやってきたような気がします。(;´▽`A``

はっきりしているのは、常夏の国で老後・・・などというのは妄想でしかないわけで、身近な一杯で幸せになる努力をすればいいんです。(笑)