じょっぴんかったか

昭和の中頃から電気炊飯器があるので「ちゃんとかましてから うるかさなかったっけ めっこになったべさ。」ということは少なくなったのかもしれません。あずましき国を探検してみればこれまた「たいしていっしょや。」と思えてしまいます。

叡智。

丸亀製麺

小麦は、学校で習った、チグリス・ユーフラテスのメソポタミア文明のあったあたりで栽培が始まったのが紀元前3000年前ほどらしく、日本で塩を使い始めたのは縄文時代の終わりから弥生時代ころらしくて、西洋的にいうと同じく紀元前3000年前ほどなんでしょう。鰹節が生まれたのは大和朝廷があった1500年ほど前らしいです。
ヒトが火を使い始めたのが170万年から200万年前らしいです。

新聞を見れば夫婦別姓が・・・と嘆いています。そんなに嘆かわしいことなのでしょうか。それでいいじゃないですか。「個」が尊重されることで受けるメリットもあるでしょう。デメリットもあるでしょう。夫婦になることも同じです。形式、制度に抗うことでなにか自己満足を得たいのでしょうか。「なるようになる。」などと自然体でいたら媒体は商売にならないというのもわかりますが。(笑)

「この地で生まれたこと、生きていることに不平不満を述べると理知的だと思われるだろう。」と思っているんでしょうか。だったら、自分が思うストレスフリーの違う地域、世界で生きるのがよろし。

饂飩の歴史以前に火を使い始めた人間は、今でもそれをコントロールできず、火災、男と女の火遊び・・・とにかく火をコントロールできていないわけで、それは未来永劫、電気やら光やらオネイチャンに形を変えたとしても、ヤケドすることは変わらないことでしょう。(笑)

今は、多くのパートのオバチャンの笑顔に委ねられた外食産業。こんなおいしい饂飩がすぐそばにあるんです。喜ばしいことではないですか。小麦粉・塩・土佐のカツオ。一杯の饂飩にも人間の叡智が詰まっていることに感謝し、一日一日、何らかに翻弄されたところで、時間軸では地球史の点にもならない刹那な存在であることを自覚し、受け入れることも生きとし生けるものの務めの一つなんだろうということです。