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じょっぴんかったか

昭和の中頃から電気炊飯器があるので「ちゃんとかましてから うるかさなかったっけ めっこになったべさ。」ということは少なくなったのかもしれません。あずましき国を探検してみればこれまた「たいしていっしょや。」と思えてしまいます。

熟。

ラーメン 北区

ラーメン秀峯
札幌市北区篠路3条6-1-8

「"ふとん"といえば、田山花袋。そんなの習ったしょや。」とたわいもない蘊蓄を語ったところで、お値段以上・・・のお店の安値は刺激的で、これじゃあ街の家具屋さんや布団やさんは共存するどころか闘う術を持たず消滅していってしまうんだろうなと思わざるを得ません。
戦後の高度成長はこの国の工業化を意味し、都市部に労働力を供給した田舎は当時のベビーブームで増えた労働力が現役だったからよかったものの、老齢化の必然は不可避で、若者が出ていくものだから生産量は落ちる、人口の再生は行われない。同時に海外から安いものが入って来る、街の活性化といううたい文句で、荒れ地を整地し企業誘致を試みたところで、消費地から遠い労働力が確保できない状態で盛り上がらない。盛り上げようと、何もしなかったわけでもないけれど、生産年齢人口の減少は納税額の減少へつながり、消費税増税へ。老齢化が進んだものだから、半分老人ホーム的要素の入院はベットにも限りがあり、出て行ってくれと言われたので、押し出されたお年寄りは、グループホームやら高サ住やらという建物へと入居せざるを得ない。しかも、そのお世話になった病院の囲い込み。
それがどうだということではなく、そうなっているということです。

このお店のチャーシューは、こうなっているんです。
すごいっしょ。ヾ(@°▽°@)ノ

何でも原因があれば何らかの結果へと帰結するものです。だがしかし、それはあくまでも結果論であって未来予測は、ある程度のざっくり感でしかないことは否めず、デロリアンでも発明して見てこない限り正確なところは解らないのも事実です。

この成熟社会。何処へ行くのやら。
良く煮込まれたチャーシューもスープの中にしばらく漬け込んで温まったころ合いに食せば、おかしな表現ですがそらあもう完熟。

過去・現在・未来。
それなりに考えさせられる毎日の中で、なんもかも考えず、サーブされたらひっくり返して麺を表にしてニンニクON!、唐辛子パッパ!とした後のこの一杯は歴史の波に翻弄されず生きているたくましさを感じるのです。